あれほど賑やかだった食卓が、この春から夫と私の二人だけになりました。いつか静かな食卓になるのだろうと思っていましたが、思いのほか早くその時期が訪れ、「静かさ」に戸惑いもあります。
 現在は、家族が少なくなり、やさいの会の方には申し訳なく思いつつ、隔週での注文を
お願いしています。ただ、配達された野菜は残さず食べています。時折、知り合いの農家から分けていただく野菜とやさいの会の野菜を残さずいただくことが夫婦の健康づくりの1つの目安です。一時期お休みしましたが、やさいの会とのお付き合いはもう20年以上になります。

 やさいの会との出会いは、呼吸器と皮膚の弱かった次男の体質改善を考えていた時に遡ります。次男は今年21歳。彼のおかげで母親として食や環境への関心を持った頃友人から紹介され野菜の配達をお願いしました。
 父の仕事の都合でお百姓さんとのお付き合いがあった子ども時代、新鮮な野菜をたくさん分けていただきました。搾乳したばかりの牛乳を沸騰させて飲むような自然に満ちた環境で育った私にとってやさいの会の野菜は、とにかく美味しく、私の感性を呼び覚ましてくれたような感じでした。当時はまだ、葉物野菜がレース状態の虫食いで届けられることもあったし、大きなコンテナの隅っこに1〜2種類の野菜が置かれていて残念な気分になったこともありました。でも私は知っていました。故郷の多くの農家で、出荷用の野菜や果樹にたくさんの農薬が使われていた景色。お百姓さんたちが肝臓を病んで働けないと嘆いていた現実。見栄えのいい野菜を作ることはお百姓さんの体には大きな負担でした。
 やさいの会の通信を読みながら、私たちがたくさん野菜をいただくことで、生産量が増え、土が耕され元気な野菜が育つだろうなと楽しみにしていました。間もなく、やさいの会の野菜は我が家の食卓の立派な主役になっていました。特に三男を妊娠した頃(1993年頃)届いた野菜は本当に美味しく種類も増えて豊かになりました。三男は胎児期には臍帯を通して安全な野菜に育まれ、母乳期には馬並みに野菜を食べた母親の母乳から野菜を食していました。だからなのか今でも彼は野菜が大好きです。

 当時同居していた義父は「きれいな野菜」がいいと信じて疑わない人でしたが、私の作る野菜料理に不満を言うことはありませんでした。父は脳梗塞の後遺症で半身麻痺、障害のせいで腸の働きが悪く苦労していましたが、それ以外の内臓疾患は発病ないまま今に至っています。野菜料理を見栄え良く作り、父に満足してもらうための努力が主婦としての料理の腕を鍛えてくれたと感謝しています。

 我が家では三人の男の子を育てました。たいした躾はしていませんが、三人とも食を大切に考えてくれていて、日ごろから自分で台所に立つことをいとわないでいてくれます。夫はあまり料理には長けていませんが、野菜が好きで季節感のあるメニューを喜んでくれます。最近会話がめっきり少なくなっているものの、食卓に上る野菜に季節の訪れを語り合います。子どもの頃の思い出や子育ての日々の思い出が質素な食卓の賑わいです。現在、美味しい野菜は第二の人生を共に歩む夫婦の支え手になりました。頑張ってほしいものです。

 木曜の朝、オレンジ色のコンテナが届きます。野菜達の顔ぶれを眺めながらあれこれメニューを考えます。以前は、例えば一本の大根は家族分の「1つのメニュー」のみの素材でしたが、今は作る量が少ないので、いくつもの料理に変身してくれ、お財布の中もありがたいです。今からは、夫婦二人のお互いの健康を願いながら野菜をいただくことになるのかなぁと思います。

 無農薬で野菜を育てる。30年前の日本の農業界では本当に非常識なチャレンジだったと思います。その勇気ある歩みに家族を代表して感謝の気持ちをお伝えしたいとお思います。みなさんのご苦労を台所で感じつつも、なかなか感謝の気持ちを伝えられなかったことをいつも申し訳なく思っていました。野菜達の故郷を一度もお訪ねすることもなく年月を重ねてしまいましたが、いつか行ってみたいと思います。

 最後になり、また、ありきたりですが、生産者の皆さんやお世話いただいてる会の皆さんの今後の健康と生産活動の継続、発展を祈念しています。私たち家族はオレンジ色のコンテナが届く日常の景色を大切にし続けたいと思います。

 30年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
やさいの会30周年に寄せて・・・@

静かな食卓で                                 守永恵

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